「ミカエラさまにお似合いなのは、赤色だと思っていましたが。金色もお似合いになりますね」
侍女は鏡に映るミカエラとドレスを眺めながら、うっとりと呟いた。
「そうかしら?」
ミカエラは、まじまじと鏡を覗き込む。
(いつもとは違う、とは思うけど。似合っている……かしら?)
ミカエラは首を傾げた。
少し癖のある黒くて長い髪がサラリと揺れる。 ミカエラの肌を黒髪がより白く見せて血色の悪さが目立つが、金色のドレスは華やかに輝いて青白さを目立たなくしてくれていた。「ええ。よくお似合いですよ。髪はいかがいたしましょうか。アップにしましょうか。それともハーフアップにして、華やかな巻き髪にいたしますか? どちらもお似合いになると思いますよ」
「どうしましょう……」ミカエラは困ったように眉尻を下げた。
(わたくし、着飾ることにあまり興味がないの。だって誰も褒めてはくれないし、粗探しされるばかりで楽しくない。このドレスも派手だと言われそうね。そして王太子殿下の贈り物だと聞いた途端に態度を変えて、褒め称えるはずよ)
ミカエラは贈られたドレスを着た自分が、夜会会場に集まった貴族たちから、どのような反応や対応をされるのかを想像して、げんなりした。
馬鹿にされるのも、軽蔑されるのも、興味本位の視線を向けられるのも、うんざりする。 だが侍女はウキウキとミカエラを飾り立てる算段をしていた。「んん……ハーフアップにして、おろした髪を縦巻きにしましょうか? そのほうがドレスの色が……んっ、ミカエラさまの色として、引き立つかもしれませんわ」
侍女はミカエラの髪を上げたり、下ろしたりして鏡の前で悩んでいたが、何か思いついた様子で表情を輝かせた。
(わたくしの気持ちなんてどうでもいいわね。ルディアの機嫌がよくなるのは助かるわ)
自分の秘密を知っている侍女の機嫌はよいほうが、ミカエラの安心に繋がる。
「任せるわ」
昔々ある所に、王子さまに憧れる伯爵令嬢がいました。 王子さまと伯爵令嬢では身分が釣り合いません。 しかし伯爵令嬢には、憧れを憧れのままそっとしておく気は欠片もありませんでした。『わたしには、七色に輝く守護精霊さまがついているのですもの。王子さまのお妃さまにだってなれるわよね?』 無邪気な七色に輝く守護精霊は、コクコクと頷きます。 伯爵令嬢は、伯爵家の娘にすぎません。 しかし彼女は若く美しい娘です。『それになんといっても、わたしは美しいのですもの。王子さまもわたしのことが好きになるわ』 彼女自身も自分が美しいことを知っていました。 そして自分の魅力を王子さまが認めてくれることを疑いませんでした。 守護精霊は無邪気にコクコクと頷きます。 キラキラと七色の光が散れば、伯爵令嬢の美しさはより輝きました。 伯爵令嬢は若いゆえに愚かです。 世の中のことなどロクに知らず、無知ゆえに怖いものなどありません。 無知は愚かさを、未熟さをあらわすものではありますが、同時に強いのです。『王子さまに見初めてもらえるように、もっと綺麗にならなきゃね』 伯爵令嬢は、毎日毎日、熱心に長い髪をブラッシングしました。 彼女の髪は淡い茶色で、瞳の色も薄茶色と派手さはありません。 しかし女性らしい整った顔立ちをしていますし、肌は白く、華奢で儚げな容姿をしています。 若い、というよりも幼い少女である伯爵令嬢は、王子さまと会えるお茶会を楽しみにしていました。 七色に輝く守護精霊も、無邪気に羽をバタつかせながらその日を待ちました。 この王国には、2人の王子さまがいます。 金色の髪に青い瞳を持つアイゼルさまと、黒い髪に赤い瞳を持つミゼラルさまです。『ミゼラルさまは、薄茶色の髪はお好きかしら? 黒い髪ほど濃くもないし、艶もないかもしれないけれど、きっと王子さまだもの。薄茶色の髪でも綺麗にしておけば綺麗だと言ってくれるわよね?』 伯爵令嬢は、憧れの王子さまに褒めてもらいたくて薄茶色の髪にブラシを入れました。 ほどなく、お茶会が開催されました。 お茶会には王国中の幼い令嬢たちが集められました。『王子さまにピッタリの令嬢を見つけるためには、このくらい令嬢がいないとダメなのね』 伯爵令嬢は周りを眺めながら思いました。 この中から自分を見つけてもらうのは大変だ
「今日も綺麗だね、ミカエラ」「アイゼルさまも素敵です」 ミカエラは今日もアイゼルの甘い言葉を聞きながらデートをしていた。 全身をアイゼルの色に染められながら美しく装うミカエラは、以前よりもふっくらして見えた。 それでも他の令嬢たちと比べたら、だいぶ細い。「もっと太らないと」「ふふ。アイゼルさまってば、そればかりおっしゃいますね」 ミカエラが花のように笑う。 オレンジ色の光が賑やかにチラチラと散って、華やかで幸せそうだ。 アイゼルは満ち足りて蕩けるような笑みを彼女に向ける。「だって」 アイゼルはそっとミカエラの耳元に唇を寄せて囁く。「そんなに細かったら、妊娠した時に折れちゃいそうだ」「まぁ!」 ミカエラは首まで赤くなって俯く。 アイゼルは満足そうに笑うと、繋いでいた彼女の細くてしなやかな手を取って自分の腕に絡みつけるように置いた。 青い光がアイゼルの周囲でキラキラと輝く。「えっと……」 ミカエラは恥ずかしそうに俯いた。「君の王妃教育も終わったし。最近は体調を崩すことも減ったし。私は他の令嬢に構っていると怒られてしまうから……こうして会える時間も増やせるよね」 アイゼルはご機嫌だ。 2人の気持ちが通じ合って以降、守護精霊たちの守りは強くなった。 アイゼルの命を狙う企みは相変わらず数多い。 だがミカエラに気持ちが伝わったと信じたアイゼルの精神は安定し、危険を上手に回避できるようになったのだ。 その効果はアイゼルよりもミカエラに顕著に現れた。 ミカエラは体調の良い日が増え、王妃教育が終わって忙しさがひと段落ついたこともあり、見るからに健康的になってきている。 しかし冷遇慣れしているミカエラは、未だアイゼルの女性慣れしたアプローチに慣れてはいない。(真夏の庭はただでさえ暑いのに。煮えてしまいそうだわ) ミカエラは上手く回らない頭で話題を探す。「えっと……ポワゾン伯爵令嬢は、相変わらずなのですか?」「ああ。相変わらずだそうだ」 アイゼルは眉をひそめた。 イエガーの姉であるポワゾン伯爵令嬢は、相変わらず昏睡状態が続いていた。 ひとまず役目を終えたイエガーは、領地経営に力を入れている。 「ポワゾン伯爵令嬢は、王太子とのお遊びが過ぎたお仕置きに家から出られないとも、王太子に振られてショックで寝込んでいるとも噂され
ミカエラの周辺は変わっていった。 まず最初に訪れた変化は、朝の祈りを捧げるための道にミゼラルが現れなくなったことだ。 それどころか基本的には愛想のよい第二王子が、時折、睨むように自分を見ていることにミカエラは気付いていた。(悪い変化なのか良い変化なのかは分からないけど、何かが変わった) ミカエラの護衛は増やされ、神官たちの出迎えは賑やかになった。「おはようございます、ミカエラさま」「おはようございます、サリス神官」 ミカエラは、水色の髪と瞳を持つ美しい神官に笑みを返した。 神殿にいる神官たちは皆、美しく若々しい。 七色に輝くエド神官も美しいが、サリス神官も負けてはいない。(年齢はだいぶ差があるはずだけど。皆、若々しくて美しいから年齢なんてさっぱり分からないわ) 黒髪を持つミカエラは、神殿に来ても浮いてしまう。 灰色の髪を持つ副神官の姿が消えたため、より異質な存在となった。(男性ばかりの神官の方が美しいから、女性としては複雑)「ミカエラさまに来て頂けて、神も喜んでおられるに違いありません」「ええ。そうですとも。我々としても気にかけて頂いて嬉しいです」「一緒に祈ることが出来て光栄です」 神官たちは、ミカエラが喜ぶような事を言ってくれる。 美しい神官たちに歓迎されて、ミカエラも悪い気はしなかった。(まるで宝石か何かになった気分) 褒めそやす神官たちに下心がないわけではないことをミカエラは知っている。(副神官によって誘拐されたから、神殿もわたくしに気を遣っているわ。それは分かっていても、ちやほやされる機会なんてないもの。ちょっと気分がよくなっちゃう) 誘拐されて以来、ミカエラの環境は変わっているが、それは普通に近付いているだけで普通からも遠い。「我々はミカエラさまに、いつも感謝しております。そのお返しが少しでも出来るのであれば、ありがたいことですよ」「大神官まで。大袈裟ですけど嬉しいですわ」 大神官は神官のなかでも任期がずば抜けて長い。「ミカエラさまが居れば、王家は安泰だ」「そんなこと……」「いえいえ、ご謙遜を。代々の王太子殿下に比べて、アイゼル殿下のお健やかなことよ」 大神官はにこやかな表情を浮かべて穏やかに話す。(大神官はわたくしの異能を知っているから……) 複雑な心境で曖昧な笑みを浮かべるミカエラへ、大
「ねぇ、見たかい? 王太子の顔。笑っちゃうよね」 第二王子であるミゼラルは、ゆったりと自室のソファに体を沈めながら、側近に素のままの笑みを向けた。「あれでミカエラへの想いを隠せているつもりなんだよ。馬鹿だよね」 その表情は酷く冷たくて醜悪だ。「あんなの、愛を知らない人間からしたら鼻についてたまらないよ。デレデレしちゃっているのが丸わかりだ」 赤い瞳を妙にぎらつかせた他人には見せない笑みを、側近には隠す必要はない。「あれじゃ殺すしかなくなっちゃったね」「どちらを、ですか?」「どっちも、だよ」 ミゼラルの側近であるパムは、悪魔だ。 茶色の髪と瞳という色を持った側近は、化けている。 ミゼラルの知る彼は、ただの黒いもやだ。 子どもの頃から見えていた黒いもやは、ミゼラルが成長するほどにきちんとした実体を見せ始め、16歳になるころには側近のパムとした彼の側に寄り添った。「どうやって殺すおつもりで?」「お前がどうにでもしてくれるだろう? 何しろ悪魔だもの」「ふふ。悪魔は万能ではありませんよ」 ミゼラルにとって、この世の中は面白いほど価値がない。 だからことごとく第一王子であるアイゼルに比べて劣る待遇であっても、いささかも気にならない。「僕は兄上にも、ミカエラにも、さして興味はないけれど。愛を知る人間って裂きたくなるんだよね」「ふふ。ミゼラルさまらしいですね」 ミゼラルは母マリアから愛された覚えも、父である国王に愛された覚えもない子どもだ。 どれだけ笑顔を向けても返されることのなかった子どもであったミゼラルは、愛することを止めたのだ。 赤子には見えていると言われている守護精霊を見た覚えなどミゼラルにはない。 気付いたときには黒いもやであるパムの姿が見えていた。「愛ってムカつくよね」「そうですね」 パムは静かに相槌をうちながら、薫り高い紅茶を入れている。「片思いやすれ違いは面白いけれど、成就した愛なんて甘ったるいものは嫌いだ」「そうですね。今回のことでミカエラ嬢の悲劇性が影をひそめてしまいましたね」 ミゼラルはコクリと頷いた。「あれはいただけない。ミカエラの魅力が台無しだ」「ですが、ミゼラルさま。アイゼルさまを殺してしまったら、ミゼラルさまが国王ということになりますよ」「そうか」 ミゼラルはガバッとソファから上半
この王国には、守護精霊が存在する。 確実に存在する。 それは愛の数だけ存在していて、ほとんどの人間には守護精霊がついている。 しかしその姿が人間の目に映ることは、滅多にない。「愛するだけではダメだよ」 守護精霊は囁く。 愛は与えるだけでなく受け取る必要もある。 人間の目に、愛は映らない。 だから愛を与えることは出来ても、受け取ることは時として難しいのだ。「子どもはお母さんとお父さんから愛されて生まれてくるよね」「いや、お父さんから愛されずに生まれる子もいるよ」「だったらお母さんの愛は絶対だね」「いや、もっと大きな欲があれば、愛は小さくなって欲の陰に隠れてしまうよ」 守護精霊の選んだ人間が、守護精霊を受け入れるためには、愛することも愛を受け入れることも必要だ。「赤ちゃんには守護精霊がついているのに、愛されていなかったら見えないね」「そうだね。見えないね」 愛されて生まれてきた子どもには守護精霊が見えている。 子どもは愛することを恐れないから、愛し愛され、守護精霊も容易に受け入れるのだ。 でもなかには生まれた時から守護精霊が見えない者もいる。 守護精霊が見える、見えないに爵位は関係ない。 立場を選ばずに、守護精霊の見えない赤子は存在する。「親が子どもをお金目当てで産んで、愛を与えられなかったら守護精霊は見えないね」「地位が目当てで愛を与えられなかった子どもも守護精霊はみえないね」 欲の陰に隠れた愛は無いのも同じ。 「王子や王女は赤子でも守護精霊が見えない者が多いよ」 自分の立場を確実なものとするために生まれた子どもには、守護精霊は見えない。「見えなくても見えたふりはできるよね」「守護精霊は他人からは見えないからね」 愛はおろかで儚く、駆け引きの材料にされやすい。「赤ちゃんの時から守護精霊が見えない子は、一生守護精霊を見ることは出来ないの?」「そんなことはないよ。愛し愛されれば見えるようになるよ」「愛を受け取ることも、愛を与えることも出来ない人は一生見えないんだね」 守護精霊が見えなくても生きてはいける。 しかし見えれば有利に生きることはできるのだ。「守護精霊はみんなについているの?」「みんなではないよ」「じゃあ、何にも守られていない子もいるんだね」「違うよ」 赤子の時から愛されることも、愛
ミカエラが副神官たちにより攫われたことは秘密だ。 だから粛々と行われた処罰は、それと分からない形で行われていった。 当事者であるミカエラも、知ることが出来ることもあれば、知ることのないこともあった。(副神官の処罰が、あのような形で行われるとは) ミカエラはブルリと震えた。「ん? 寒いのかい? 今日はどちらかといえば暑いと思うが」 アイゼルはミカエラの肩へそっと手を回して自分の方へ引き寄せた。 誘拐の一件以来、ミカエラと秘密の共有に成功したアイゼルは彼女との時間を増やした。 表向きには【婚約者がいるにもかかわらず下半身の軽い王太子】を【罰するため】の【教育的な指導として婚約者と触れ合う時間を増やす】ということになっている。 だがその実情は普通の恋人たちがするようなデートと変わらない。 今日はそんな【懲罰的デート】の日である。 ミカエラとアイゼルの2人は王城の庭園を散歩していた。 ミカエラの後ろには白い日傘を差し出す侍女ルディアの姿もある。 彼らの周囲には護衛もしっかり配置されていた。 この国は陰謀に満ちている。 発覚した陰謀の全てを知り、その処分の行く末の全てを把握している者などいない。 それでも時は過ぎていき、王国の歴史は刻一刻と新しく刻まれていく。「ミカエラ? どうかしたの?」 美しい王子さまが彼女を覗き込む。「いえ、何でもありません」 笑顔でそう返事をしたミカエラ自身が、その言葉は嘘だと知っている。 真実を教えられた後も、ミカエラのなかには漠然とした不安があり、それは消えない。(わたくしは、どこへ流れていくのかしら?) その答えを知る者はない。